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Nikon

Sunday, September 27, 2015

犠牲祭 (Sacrifice)


私たちに与えられた無数の恵みに対し、私たちはアッラーに感謝する責務を負っています。この責務を果たし、精神的にアッラーに近づき、アッラーの愛情を得る為に私たちが行なう一つが、犠牲を屠ることです。 ここでの犠牲とは、一定の動物をイード(大祭)の日にアッラーのご満悦を得るために屠ること、あるいは代理人をたてて屠らせることによって実現される崇拝行為です。

犠牲を屠ることは崇拝行為の1つなのです。アッラーの命令に頭を下げて従い、財産をアッラーのご満悦を得る為に捧げることなのです。この崇拝行為は、アッラーへの愛情をあらゆる愛着よりも優先させ、真実の道において献身することができることを示すものなのです。 犠牲を屠る、あるいは代理人を立てて屠らせる信者は、「あなたの主に礼拝し、犠牲を捧げなさい。」(潤沢章第2節)という命令を実行し、アッラーへの服従を示し、しもべとしての意識を新たにし、預言者ムハンマのスンナに従ったことになるのです。

預言者ムハンマドは「犠牲として屠られた動物の毛の一本ずつに10の善行が与えられる。」「犠牲として捧げた動物は、最後の審判の日に角と毛と共にあなたのところに来る。屠られた動物は、その血が地に落ちる前にアッラーの位階に達する」と命じられ、犠牲とされた動物の肉の善行の豊かさとその重要性を明らかにしておられるのです。 親愛なるムスリムの皆様。 犠牲を捧げるという崇拝行為の本質は、人の意思と誠実さです。このことを高めるアッラーは「それらの肉も血も、決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信〔タクワー〕である。」(巡礼章第37節)という言っています。

犠牲を屠ることは、アッラーの愛情を獲得し、自我を防ぎ、しもべとしての意識をもつ、という最も好ましく価値のある崇拝行為です。 そのことについて預言者ムハンマドは、「人はイード・ル・アドハ(犠牲祭)の日にアッラーの為に犠牲を屠ること以上に好ましいことを行うことはない」とおっしゃられています。 犠牲として屠った動物の肉を家族と共に食べ、神の恵みの恩恵を受けることができるのと同様に、客に振舞ったり貧しい人にわけたりすることで彼らともイードの喜びを分かち合うことができます。そして人々への慈しみ、いたわり、敬意を真の意味で実践することになるのです。 

親愛なるムスリムの皆様。特に日本で、犠牲を屠るという崇拝行為を直接実践することは困難でです。従っていくつかの組織が代理をたてて犠牲を屠る活動を行っています。イスラームに定められたとおりに屠られた動物の肉は、必要としている人々へと届けられます。 

アッラーに近づくことを希望している私たちも、犠牲を屠る崇拝行為を実践しましょう。また、アラファの日(犠牲祭の前日にあたる)の朝の礼拝から始まり、イードの四日めのアスルの礼拝まで続くタシュリーク・タクビールを義務の礼拝の際に行なうことを忘れないようにしましょう。

東京ジャーミイでイード犠牲祭の祈り。